ピアニストのフジコ・ヘミング氏がお亡くなりになられた。
逆境に負けず強く生き抜いてきた姿と、温かい人柄がにじみ出る豊かな演奏は長年、多くの人々を魅了してきた。(※)
ピアニストとして世に認められたのは六十代後半という遅咲きのひとだが、長い不遇の時代にも明日への夢を捨てなかった氏の宿命とはどのようなものだったのか、算命学で観た(陰占と後天運のみ)。
※ https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240502/k10014438441000.html
フジコ・ヘミング(1932/12/5生)※
庚 辛 壬 10庚戌
辰 子 亥 申 20己酉
巳 甲 戊 30戊申
壬 40丁未
癸 壬 庚 50丙午
60乙巳
70甲辰
80癸卯
90壬寅
※ Wikipediaには1931/12/5生とあって、92歳没と報じているメディアはこれにもとづいているようだ。どちらが正かはわからないが、1932/12/5生のほうが現実とよく符合するので、こちらを採る。
陰占を観て驚いた。
亥月生まれの庚だから、守護神は丁・甲・丙、忌神は水で、多い水は調和の忌神にもなる。だから、水=寿は庚=自分を沈めて使い物にならなくする嫌な忌神だが、子と申が半会すると、月干以外は全部水になる(沈金)。忌神帝旺で、家族との縁が薄い孤独な宿命(井蘭斜格)でもある。
一方、守護神の丁・丙は一つもなく、甲は月支の初元に一つあるだけ。
実力を発揮しにくい、ものすごく生きにくい宿命で、超がつく下格だ。寿を仕事にするピアニストで成功するとはとても思えない…というか、成功する前に亡くなっていても不思議ではない。
しかも、是非とも欲しい丁/丙が後天運で周ってきても、年干/月干と干合してとられてしまう。本当に過酷な宿命だ。
氏は、5歳からピアノ教師の母親の手ほどきでビアノを始め、10歳のときには父親の友人で著名なピアニストのレオニード・クロイツアーに師事、「世界中の人々を感激させるピアニストになるだろう」と絶賛された。その後、17歳でコンサート・デビュー、ドイツへ留学して、ブルーノ・マデルナ(今世紀最大の作曲家・指揮者のひとり)に認められた。
ピアニストとしての才能や環境に恵まれ、若くして世に認められてもおかしくなかったが、悲劇は起こった。華々しく世に出るはずだったリサイタルの直前に、風邪をこじらせて聴力を失ってしまったのだ(その後に一部回復)。
忌神の寿が伸びると、運勢は落ちる。ピアニストにとっては、過酷な宿命だ。その後は失意のなかでピアノを教えて日々をしのぎ、母親の死をきっかけに62歳で帰国した。
そして1999年(66歳)、奇跡が起こる。
氏の波乱の人生を追ったNHKのドキュメント番組が大きな反響を呼び、発売されたデビューCD「奇蹟のカンパネラ」はクラシック界では異例の大ヒットとなる。その後も国内から海外へと活躍の場を広げて、91歳で亡くなる数か月前まで精力的に音楽活動を続けた。
この運勢の大きな転換をどう解釈するか?
ひとつは、忌神の消化で、世に認められてからは寿が伸びても/周っても運勢は落ちていない。これほど強い忌神でも、あきらめなければ消化できるということだ。もう氏の実力の発揮を妨げるものはない。
そこに、大運天中殺の陽転が加わった。禄の中殺なので、NHKのドキュメント番組という、思ってもみない展開で人気を得た。6旬の月干支の天剋地冲で海外から国内へ身の回りの場所を改めたのもプラスしたのだろう。
もうひとつは、従生格の一点破格(破の守護神は辛)が動いた可能性がある。氏が帰国して伝手もなく音楽活動ができないときに、友人や母親の教え子たち(辛と観た)が演奏する場所を探してきてくれて、そこからNHKのドキュメント番組へとつながった。拡大解釈になるが、月干は寿の場所だから、氏の演奏を聴いて救われたひとたちがずっと演奏活動を支えてくれているともいえる。
氏は、雑誌のインタビューで、大人世代の女性へ伝えたいことはと問われて、次のように答えている。(※)
「私はもうダメだなんて思わないで、大丈夫だから。それは人生も同じ。私が一夜にして有名になったのは六十代のこと。何かの力が働いて、扉が開くタイミングがある。遅すぎることはないので、いつでも準備していてほしい」
なんと勇気づけられるメッセージだろう!
亡くなったのは寿の納音の大運、かつ、天中殺で地支が三合会局になる年だった。
氏の冥福をお祈りしたい。
※ https://osharetecho.com/column/26748/